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刺繍の仕事の始まりは…

今日は、私が、なぜ刺繍を始めたのかという事を書いてみたいです。

もともと、絵を描きたいと思っていたのですが、はっきりと、画家を目指す自信がなかったのでしょうか。

なにせ16,7歳のことですから。

とにかく、芸大を目指そうと、高校生の時は、一度も休まず、日曜日はデッサンに通っていました。

それで、いざ、芸大の入試という事になって、日本画や洋画じゃなしに、工芸科を選んでしまいました。

日本画などの美術科はとにかく倍率が高くて(10倍)、少しでも倍率の低い工芸科(7倍)を選んだのでした。

と言うのも、ものすごい親の反対に会って、受験を失敗し、浪人生になる事は許されなかったからです。

そして、デッサンを習っていた銅版画家の古野先生が、染織を勧めてくださった、というのも理由です。

受験の年の芸大の作品展を見に行って、織物をしてみようか、と思いました。

素材感に、とても魅かれたからです。

無事、京都市立芸術大学に入学。染織科で、織を専攻。それからは、織物で平面、立体、空間の作品や、

服飾の仕事を続けていました。

が、30歳半ば頃からは、本当に自分がしたいことがわからなくなっていました。

染織を続ける事に意味があるのか、そして、芸大で学んだ事はなんだったのか。

そんな頃、1993年、36歳の年、フランス旅行に出かけました。

パリにアパルトマンを所持している、フランス留学経験のある東京女子美卒(フレスコ画)の年輩の方に

お世話になって、1月ほど、滞在しました。

パリに拠点を置き、あちこち回りました。

バイユーという町で、有名な 「 La tapisserie de bayeux」 バイユーのタピスリーを見ました。

これは、、フランス滞在中にぜひ見たいもののひとつでした。

バイユーは、ノルマンディー地方の田舎町。殺風景な駅前には、日本人観光客などいません。

でも、タピスリー館のあたりは、とてもひなびた風情があり、近くにあるカテドラルは無彩色のステンドグラス。

川沿いの民家は、おとぎ話の世界。

タピスリーはノルマンディー公ウィリアムガ、イングランドを征服した物語を、王妃マチルダが、女官たちに作らせた

 ものです。

幅50㎝、長さ70mの絵巻物のような、タピスリーは、刺繍で表現されています。

馬のデッサンがいいでしょう!いきいきとして。

11世紀の作品なのに、とても、色が美しく残っている。もちろん、植物染料です。

同時代の、絵画の絵の具の剥落状態に比べると、なんとも立派です。

上下に描かれている聖獣、空想の動物もおもしろい。

現代の、アニメーションのよう。

そして、力強い。

ほとんど、チェーンステッチです。

どういう人が原画を描いたのかわかりませんが、戦争を間近で見た人でしょう。

この、絵画にも劣らない刺繍のタピスリーに、私は深く感銘を受けました。

こういう表現があるんだ!こういう表現をしてみたい!

という気持ちに、満たされました。

しかし、どういうところから自分の作品として手を付けていったらいいか、すぐにはわかりませんでした。

帰国後、少し刺繍を試してみたりはしましたが、

その頃は、織機も手放し、染織の仕事を止めようかとも思っていたので、

上手く、自分のものになりませんでした。

本気で、刺繍に取り組みだしたのは、2000年になってから。

始めは、織物と刺繍のドッキングに、苦労しましたが、

最近、ようやっと自分らしい作品作りになってきたと思います。

バイユーの町を去る時、降っていた雨が止み、ダブルの虹を見ました。

その時、今日見たタピスリーの感動が、いつか、もっと素晴らしいものになると

心のどこかで、確信していたように思います。


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